sleepwalking@田川ミメイ

モノカキ田川ミメイのムック本「ミ・メディア」の元となった03~05年までのWeblogMook。なんでもありの夢ウツツ・データベース。

■トルニタリナイコト(08?)

みたび、「真鶴」

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写真日記、更新しました。
「みたび、真鶴」

久々に真鶴に行って、
行ってから、川上弘美の「真鶴」のことを思い出して……。
ちょっと、背筋がつつっと寒くなったり。
詳細は↑で(笑)

写真日記は、公式ブログ「トルニタリナイコト」のほうにだけアップしています。
お時間のある時にでも、のぞいてみてね)

キモチを積み重ねる

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24日はミメオの誕生日でありました。
去年は「暦」がぐるりと「還」った年だったから、
今年は、新たな暦においての1歳ということで。
おめでとう、満1歳(笑)

あたしもミメオも夏生まれなものだから、
以前はそれぞれ欲しいものを自己申告し、それを一緒に買いに行って、
プレゼント交換(って子どもか)のようなことをしていたのだけれど。
東京を離れてこの町に越してきてからは、
ふたりとも必要最低限のものがあれば十分と思うようになり、
「何が欲しい?」と訊かれても、特にコレというものが浮かばない。

去年など、あれこれ悩んだ末にミメオが「欲しい」と言ったものは、
なんと「おろし金」。
“おろし金”って、大根とか生姜をおろすアレですよ。
それなら職人さんが手打ちして作る「おろし金」にしようと思ったら、
そんなに高価なものは要らない、と言うし。
そりゃ確かに今は100円ショップでも買えるけど、
誕生日プレゼントに100円のおろし金っていうのも、なんだかねぇ。
(でも実際、100円ショップで買いました・笑)

で、今年はどうする? どうしようか、と相談した結果、
モノを買うよりは、一緒に美味しいものを食べたり、旅に行くほうが良い、
カタチに残るものよりも、記憶に残るものの方が良い、
ということで意見が一致。
なので、今年からは、互いの誕生日にシャンパンを買うことにした。
家で美味しいゴハンを食べながら、シャンパンで乾杯。
で、できれば、折を見てどこかに旅に行く。
そう決めたら、なんだかとても楽になった。
年を積み重ねていくということは、色んなことも積み重なっていくわけで、
だからこそカタチあるものは、必要最低限あればいい。
それよりも、カラダで感じて、キモチを積み重ねていく方が良い。

ということで。
24日はオウチゴハンでシャンパンで乾杯。
が実は、その美味しいゴハンを作ったのは、
誕生日を迎えた当の本人なのでありました。
えへへ。
ほんに美味しゅうございました。
ごちそうさま。

って、なんか違う?

圏内の夏休み

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写真日記を、トルタリの方に載せました。
「圏内の夏休み」

(ここはサムネイル画像のアップができないから、
たくさんの写真を載せるわけにはいかないので、
写真日記は、公式ブログ「トルニタリナイコト」のほうにだけアップしています。
お時間のある時にでも、のぞいてみてね)

覚醒する

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一昨昨日(さきおとつい)のこと。
いつもは横になったとたん、真っ逆さまに眠りに堕ちていくのに、
なぜか、なかなか眠れない。
ようやく睡魔の尻尾をつかまえて、束の間うとうとするものの、
はっと驚いたように目が覚める。
目ざめたとたん、覚醒している。
こんなに、いきなりはっきりとするなんて滅多にないことだから、
どうしたんだろう、と不思議に思う。
夜明けにはまだ間がある、眠らなければ、と、目を閉じる。
何度も寝返りを打ちながら、ようやくうつらうつらして、
また、はっとして覚醒する。
その繰り返し。
まるで、眠りそうになったとたん水をかけて起こすという拷問みたいだ。

そのうち、首筋から肩のあたりがパンパンに張ってきて、
もう寝ていることに嫌気がさし、明け方に起き出して朝の風に吹かれてみる。
前夜までは肩が凝っているという自覚もなかったから、
どうやらこれは血圧があがっているせいらしい、とようやく気づく。
と言っても、ふらつくこともないし、ひどく気分が悪いというわけでもないので、
ものすごく高い、というほどでもなさそうだ。
子どもの頃からずっと低血圧だったものだから、
少しあがっただけで、こんなふうになってしまう。

日中も、目元だけはしょぼしょぼと眠たいのに、
意識だけは妙にきっぱりと覚醒している。
いつになく、何もかもがクリアだ。
なんだか、これはあれに似ている。
そう、初めてメガネをかけたとき。

高校の身体検査で「仮性近視」と診断されて、
半信半疑で眼科に行き、生まれて初めてメガネを作ることになったのだった。
検査用の黒くてごついゴーグルのような器具の丸枠に、
かちゃりと「レンズ」がはまったその瞬間。
世界は、一変した。
モノの輪郭も、色合いも、向かい合うヒトの瞳も、
あまりにもクリアなものだから、なんだか少し怖くなった。
今まで居た世界が、どこかに消えてしまったみたいだった。

いつもは低く這いつくばっているような血圧が、
ひょいっと高くなったせいで(たぶん)、
頭の中が妙にクリアで、ぱきんと覚醒しているその感覚は、
初めてメガネをかけたときと、どこか似ていた。
人の言葉や自分の声の輪郭が尖っていて、少し怖い。
何を言っても考えても、なぜか「紋切り型」になってしまうような気がして、
とりとめのない想いの中を、ぼんやりと漂ってなどいられない。

この状態こそが、覚醒している、ということなのだろうか。
もし、そうであるのなら、あたしは今まで目ざめてはいなかった。
ずっと、半覚醒の中にいた。
だとしたら、あたしはなんと曖昧な世界の中で生きてきたのだろう。

そういえば。
高校の時に初めて作ったメガネを、あたしは結局使わなかった。
レンズ越しの、あまりにクリアな世界になかなか馴染めず、
いつもケースにしまったまま、机の隅に置いてあった。
気まぐれにかけてみることがあっても、
見える景色と同じように、自分もきっぱりきっちりせねばならぬようで、
ひどく疲れてしまうのだった。
0.5と0.7という、中途半端な仮性近視だったから、
授業中に黒板の字が見えなくて困るというほどではなかったし、
運転免許も取らなかったから、そのまま掛けずに今日まで来た。

見えないわけではなく、よく見えるわけでもない。
そんな視力でモノを見て、
目ざめていないわけでもなく、きっぱりと覚醒しているわけでもない。
そんな意識の中で、生きてきた。
だからこんな、とりとめのない思考回路になったのだろうか。
白黒つけることよりも、どっちもありだと思うような、曖昧な人間になったのか。


あがっていた(らしい)血圧は日毎に少しずつさがっていき、
首や肩の張りも薄れていった。
昨夜はもう痛みもなく、いつものように横になってすぐに眠りに堕ちた。
いくつかの、とりとめのない夢を見て、
目ざめたときには、からだ半分を夢の中に残したままだった。
いつもと同じように、夢とうつつの狭間を漂いながら、
馴染み深い世界に戻ってきたことを、ぼんやりと知り、
秘かに安堵したのだった。

---------------- 8×キリトリセン ----------------

いつものあたしの覚醒パターンといえば。
夢を見ながら寝ている→少しずつ目が覚める→夢とウツツをさまよう
→目を開けてぼうっとする→ようやく起き上がる→座ったままぼうっとする
→少しずつ目が覚める
と、こんな調子なものだから、いきなり、ぱきーんと覚醒してしまうと、
もう辛くて仕方がない。なんだか気が狂いそう、とさえ思えたり。

結局、我が家の貴公子ならぬ気功師ミメオ(いや別に本職じゃないんだけど、
なぜかプロ並みの腕前)によるマッサージのおかげで、
首や肩の痛みもしだいに取れていき、
それにつれて血圧も正常(低め安定)に戻ったようで、
ようやく、いつものぼんやりとしたあたしに戻ったのでした。
めでたし、めでたし。

って。
良いんだか悪いんだか?(笑)

あ。でも最近は遠視寄りになってきた(老眼ともいう)ので、
たまにメガネをかけたりします。
小さな字を読むときとか、繕いものをするときとか。
背に腹は代えられない、という言葉を実感するお年頃。
ふふふ。

賞賛・「篤姫」少女漫画説



「篤姫」のことを書こう書こうと思いつつ、
どのタイミングで書くべきか迷っていたのだけれど、
今日のオンエアで取りあえずひと区切りであろうから、書いてみようかな、と。
が、しかし。実は、今日の放送はまだ見ていない。
もちろん録画してあるのだけど。
すぐにも見たいようであり、見たくないようでもあり。
だってだって。家定が死んじゃうなんて嫌だ?(泣)

元々あたしは堺雅人という役者が好きだったけれど、
それは独特の雰囲気を持ったちょっと変わった役者ということであって、
男性として好みのタイプというのではなかった。
なのに、この家定をやっている堺雅人は、
男としてめちゃくちゃ魅力的に見えてしまう。
いったい、それは何故なのか。

毎回そう考えていて、ある時、ふいに、あ、と思った。
そうか、この「篤姫」は、ある意味「少女漫画」なのだな、と。
と言っても、少女漫画が悪いわけではない。
そのこと揶揄しているわけでも、けなしているのでもなくて。
ただ少女漫画の定石ともいえる――女子が胸キュンを覚える――ツボを、
ものすごく上手く押さえてあるのだ。
そう考えると、すべてがすとんと腑に落ちる。

婚礼の儀まで、なかなかたどり着けない焦れったさ。
日に日に募る、上様への興味。
が、その上様は、「うつけ」という噂。
美しい側室(=ライバル)お志賀の、
うつけであろうとなかろうと構わない、あたしは上様が好きだから、という宣言。
(ここで初めて篤姫は「好き」という恋心を知ることになる)

そして、ついに問題のシーン。
噂を鵜呑みにするのではなく自分の目で確かめたい、という篤姫が、
家定と共に庭ではしゃいでいるうちに、よろけて橋から落ちそうになる。
あ、と思った家定は、その一瞬、迷う。
ここで篤姫を助ければうつけではないことがばれてしまう。
が、次の瞬間、仕方がない、と、迷いを振り切り、
そのとたん、さっと腕を伸ばし、篤姫を抱き留めて、抱き寄せる。

たったこれだけの短いシーンで、しかも台詞は一切ナシ。
なのに、このときの堺雅人の演技に、
思わず、どきっとしてしまった女子(?)は多いはず。
(実際、このシーンは話題になり、
 WEBにも「胸キュン」という言葉が飛び交っていた・笑)
この胸キュン事件(?)で、視聴者(特に女子)の視線は、
一気に家定に向かっていく。
ここからは、二人を引き離そうとする姑との小競り合いもあり、
特命を担っているゆえの苦悩もありながら、
二人はしだいに信頼を寄せあうようになる。

うつけだと思っていた男が、実は聡明すぎるほど聡明な男で、
しかも、たくさんの悲しみを背負っていて、
美しい恋のライバルがいたにも関わらず、
男は、自分だけに心を開き、本当の姿を見せてくれるようになる。
しかも、ふたりの関係は最後までプラトニック。
これぞ、少女漫画の定石、恋の方程式でなくて何であろう(笑)

しかも、男はただ頭がいいだけではなく、
何事においても意見を求め、きちんと耳を傾けてくれて、
ちゃんと自分のことを「人」として「女」として「認めて」くれている。
これって、現代における「女にとっての理想の男」なのではなかろうか。
これがただの「俺についてこい」的な男であったら、
いくら魅力的な男であっても、現代の女達の賛同は得られなかったかも。

娘時代の篤姫は、聡明で意志も強く自由奔放で野心もあり、
という、この時代にしては(いや現代においても)アッパレな女子で、
結婚するなら「日本一の男と」と、
堂々と(しかも清々しく)宣うようなキャラである。
その篤姫が、自分が担った重大な使命を翻してでも、
「徳川家の為に生きる」と思うようになっていく。
そのことを視聴者に納得させるためには、
家定がそれに価するような魅力的な男に見えなくてはならない。
自分の意志をしっかりと持った篤姫のような女が、
この人の為に生きようと思うようになるのだから、
家定は篤姫にとっての「日本一の男」だと誰もが納得しなくてはならないのだ。

その為には、少女漫画のようなきっちりツボを押さえた道筋が必要だった。
でありながら、それが少しも陳腐でもなく幼稚でもなく、
少しのあざとさも感じさせない。
そのことが、何よりもスゴイと思う。
それはやはり、脚本、演出、役者のすべてが、絶妙だったからだ。
じっくりと焦らず丁寧に、細かいところまで手抜きをせず、
ひとりひとりの人物をきっちりと創り上げてきたからこそ、
ここまでの説得力が生まれたのだ。

時に、サスペンスドラマのようなカメラワークや音楽になったり、
これはコントか、と突っ込みたくなるような演出もあったりして、
その遊び心も、スタッフや役者が楽しんで創っているように思えたり。
面白いドラマというのは、全てが良い方向に転がっていくものなのだな、
と、つくづく思う。

さて。
家定亡きあとは、どうなるのか。
これからは篤姫に一気に視線が集まるようになるのだろうから、
それもまた見物ではある。

あるのだけれども。
もう家定に会えないなんて、淋しすぎる?。
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